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2014.03.29

真夜中のフランス革命

深夜の徘徊が好きである。
オレンジ色の街灯に照らされる車道。シャッターが降り、静まり返った商店街。鼻腔を伝う空気も、まったく違うように感じられる。墓場に怯え、時折すれ違うのは本当に人なのだろうかと勝手に想像する。これを味わえるのは自分一人だけではないか。われこそは夜の住人、一鬼夜行だと独りごち。

自分の足音や、好きな音楽を聴きながら黙々と歩いていると、日常のことから空想・妄想まで、さまざまな思考が頭をもたげてくる。しかし大体は立ち止まると忘れる。ひさびさに終電を逃し、家まで数時間かけて歩くことが最近あったため、そんなことを考えていたら、同じ感覚を覚える映像がYouTubeにあった。水曜日のカンパネラというユニットの「マリー・アントワネット」である。

夜の浅草、仲見世通りを謎の女が練り歩く。女が口ずさむのは、フランス革命にちなんだ歌詞。ラップ調に次々と繰り出される。

と思いきや、「恋はベルバラお菓子は別腹」と、「ブルボン」つながりでお菓子のブルボン社の商品名の羅列へとなだれ込み、「パンがなくってーも、おもてなしはブルボン王朝」でしめる。たぶん、歌詞の大半は言ってみたかっただけなのではないか。

そして曲も佳境を過ぎ、バックトラックが終焉へと向けて最高潮に達したとき、やおら素っ頓狂な声で放たれる言葉。

 「お菓子を食べればいいじゃなーい!」

しかもご丁寧にリフレインまでする。そ、そうですよね、とうっかり思ってしまうほどの説得力というか強引さ。それ、絶対に言ってみたかっただけやん、と思う。

脈略も意味もすっ飛ばして、真夜中の浅草で繰り広げられるフランス革命。浅草だけではない。人知れず、いたるところで同じような「革命」が起こっていたとしたら、なんとも痛快なことだと思った。


2014.03.12

ああそうだったと思いだした:映画『少女は自転車にのって』を観て

最近になって、もうひとつ、ああそうだったと思い出したことがあった。
映画『少女は自転車に乗って』である。

映画館の設置すら禁じられているサウジアラビア初の女性映画監督の作品。
イスラームに「厳格」なサウジアラビアを、一人の少女の視点を通して描いている。

「女性は自動車を運転してはならない」というのは聞いたことがあったけど、自転車も乗ってはいけないとは思わなかった。
でもそれ以上に驚かされたのは、母娘がショッピングモールにドレスを買いに行くシーン。母親が気に入ったドレスを試着するのに、女子トイレでの個室で試着をするよう男性店員にうながされるのだ。男女分離のため、お店に試着室が設けられていないのかもしれないけど、裾が汚れないのだろうかとか気になってしかがたなかった。

少女は念願の自転車を手に入れられたのかどうか。ラストの母親の選択に、この国も変わりつつあるのかなと思わせてくれるようだった。


それで、何を思い出したのかというと、クルアーンの朗誦である。主人公の少女が自転車代を稼ぐために、学校主催のクルアーンの朗誦コンテストに参加するのである。

クルアーンは「声に出して誦まれるもの」。もともとは口伝えであった。その朗誦は、独特の節回しがつけられていて、まるで歌のようにも聴こえる。

はじめて聴いたのは、カイロからアレキサンドリアへ向かう、乗り合いバスの中。はじめての海外一人旅で、ちょっぴりおセンチ(死語)気分となり、ホームシックになっていたとき、カーステレオから聴こえてきた、歌とも思えるような声。その素朴な声が、なぜだか、じーんと胸に響いた。

もちろん意味はわからなかったし、これがクルアーンの朗誦だとはあとになってわかったことだった。しかしその響きにひかれて、アラビア語を学んでみたいと思ったのだった。あまり身にはつかなかったけれど、その言葉の響きはいまだに引き寄せられるものがある。
……などといいつつ、最近はマレー語を習いたいと思ったりなんかしたりして。

映画のテーマとは違うけれど、『少女は自転車にのって』は、それを思い起こさせてくれた。


少女は自転車にのって

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