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2007.03.27

叫びとささやき

不意打ちを食らってしまい、気が動転し、どうしたらいいのかわからなくなってしまうことがあるだろう。


今日(26日)の朝、目を覚まして、ふとテレビをつけるとやっていたのは「フランダースの犬」の最終回。
しかも、ネロとパトラッシュの凍死シーン直前。唖然としながら天使に連れていかれるのを見送るしかなかった。

しばらくポカーンとしていたが、我に返って「ひー!」と叫びそうになってしまった。寝起きに昇天されても非常に困るのだ。

2007.03.10

逆光のカラオケ

1月、第4回マニアックカラオケが府内某所にて決行された。
1,2回はレポートしたが(第1回第2回)、第3回開催時は忙しかったのと、1時間しか行かなかったという理由でレポートしそびれていた。それよりも、カラオケの前に行ったトルコ料理屋「イスタンブール・コナック」の料理のほうが印象深かかったかもしれない。しかし、時間が短いとはいえisaac氏からマニアックカラオケにおける最重要概念の提出があったので、ここに記しておかなければならない。

それは、「社交のカラオケ」という概念である。
もちろん、我々がおこなっているのはマニアックカラオケである。では、マニアックでないカラオケはどう呼べばいいのか。今までは「普通のカラオケ」「いつものカラオケ」と呼んでいたのであるが、「社交のカラオケ」という呼び名がいちばんふさわしいように思える。カラオケとは社交の道具、コミュニケーションツールであることを端的に示している。

思うにこの概念、「社交のカラオケ」だけでは立ち現れなかったものではないか。左利きについて考察していくうちに立ち現れてくる右利き社会のようなものである。マニアックカラオケと称し、ほとんどの人と共有できない曲ばかり歌ってきたことにより、「普通の」カラオケがどのようなものであるのかを再認識するに至った。つまりカラオケの逆照射である。

しかし、「マニアック」と「社交」は、二項対立で捉えてはならないようにも思う。我々のマニアックカラオケも、3人でおこなっている以上はコミュニケーションのあり方のひとつであり、社交の要素も含んでいるに違いない。両者はおそらく極のようなものであって、どちらかの要素の強さの程度の問題なのだろう。

究極のマニアックカラオケとはなんだろうか。ひとりでカラオケすることだろうか。いや、それだとカラオケ屋の店員とコミュニケーションしていることになる。僕が思うに、それは頭の中でカラオケを流し、頭の中で歌うということではないだろうか。

では究極の社交のカラオケとはなんなのだろうか。自分の好みではなく、ヒットチャートに登場する曲を優先して歌うことなのだろうか。無自覚、無批判に流行を追う人たちを、「刹那的」とか「メディアや流行に踊らされて……」と冷ややかに見ることもできる。しかし、さまざまな思惑とは無関係に、流行を心から楽しんでいる人がいることも僕は知っている。

「当たり前」とされていることを「当たり前」のように享受し、「当たり前」のように楽しむ人びとのことを、ときどきたまらなくうらやましいと思うことだってあるのだ。

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C3メモ


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