クレオパトラの浜を訪れた次の日、僕はマルサ・マトルーフを発った。次の目的地はシーワ・オアシスである。シーワは、マトルーフから南西の方角、西部砂漠に位置する。少し西に行けばリビアである(左の『歩き方』を参考にした適当な地図を参照)。リビアにも行ってみたいと思ったが、ビザの申請が面倒くさそうだったのでやめることにした。エジプトには、他にもいくつかオアシスが点在しており、大きなものは砂漠ロードでそれぞれ結ばれている。シーワ・オアシスはその中でもっとも西に位置しており、人々の顔つきもカイロなどのナイル川流域の人々とは少し違うような気もする。
シーワには5日ほど滞在したのだが、初めの2日は「アレキサンダ・ザ・グレート」というホテルに泊まっていた。シングル一泊5ポンド(約150円)という安さにひかれたのだ。5ポンドというのは破格だと思うのだが、シーワの安宿はだいたいこれぐらいの値段のようだった。採算はとれているのだろうかとこちらが心配になってくる*1)。朝食も付くの? と聞いてみると、付くというので、このホテルに泊まることに決めた。
ホテルの管理をしている若い男は、弟とイスラエルから来たと言っていた。当時、僕は中東情勢のことをほとんど知らなかったのだが、今考えると、パレスチナ人ということになるのだろうか。ちなみに、客は僕ひとりしかいなかったようだ。部屋はそれほど大きくないが、綺麗で明るいホテルだった。ホットシャワーも出た。ホテルの隣には、同系列のレストランも併設してあった。
5ポンド朝食つき、ということだったのだが、一日目の朝、「起きるのが遅すぎて朝食は終わった。」と言われる。確かにこの日は寝坊したのだった。二日目、ものすごく早起きしてフロントに下りてみる。彼はフロントでまだ寝ていた。起こして朝食を要求してみる。この時点で、僕は半分あきらめていた。たぶん朝食なんか出す気はないのだろう。
彼の反応は、いささか予想外のものだった。
「朝食を用意するから今日の宿泊費をよこせ。」
これはおかしいと思った。朝食代は(もし朝食があるのなら)昨日払った分に含まれているはずだ。朝食がつかないなら、はじめからそういえばいいのにと思う。シーワ・オアシス周遊や、砂漠ツアーなどもここで組んでくれるということだったのだが、なんだかそのような話も胡散臭く思えてくる。こちらも引くに引けなくなってしまったので、チェックアウトすることにした。そう告げると、彼は激怒して近くのイスを蹴り飛ばした。これも予想外の反応だったのだが、脅しのつもりなのだろうか。これで後腐れなくチェックアウトする決心がついた。他のホテルの目星もついている*2)。
すぐに部屋に戻り、荷物をまとめる。実は昨夜から出る用意をしていたのだった。彼は部屋まで追いかけてきて、今度は「出て行かないでくれ。」と泣きついてきたが、無視してホテルを出た。
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1)2001年度版の『歩き方』によると、二倍近くの値段に値上がりしているようだ。
2)1999年当時の話なので、現在は管理者も変わっているかもしれない。
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