2005.07.16

砂漠に星の海

1999年・夏のエジプト旅行を回想する「回想1999」。前回はこちら
現在位置はシーワオアシスとバハレイヤオアシスの間、真夜中の砂漠。
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真夜中。ふと目が覚める。
ここは砂漠のど真ん中。僕たちは砂の上にマットを敷き、毛布に包まって眠っていた。薄いマットを通した砂漠の感触は、意外と固い。僕の隣には、ランドローバーの運転手が眠っている。

少し寒いな。
念のため長袖のボタンシャツを着て眠りについたのだが、それでもまだ寒い。日中の暑さが嘘のようだ。

バックパックからウィンドブレーカーを引っ張り出して羽織る。ボロボロになってもいいものをと、中学生の頃から着ているやつを持ってきた。防水性もなく、袖のゴムがでろでろに伸びてしまったが、妙に愛着が沸いてしまって、2004年のインド・ネパール旅行の時にも持っていった。買い換えるのが面倒ということもあるが。

これで眠れるだろう。毛布にくるまり、ふと夜空を見上げる。その夜空の変化に気づき、僕は歓声をもらした。

月が沈んだ後に見えるのは、こぼれんばかりの星空だ。
数え切れないほどの星が瞬く。
「降るような星空」ともいうが、本当にいくつもの流れ星が降りそそいだりもする。

日本でも綺麗な星空を見たことがあるが、地平線近くまで星が見えるのは初めてだった。視界を遮るものがほとんどない砂漠ならではの光景だ。

この見事な星空を独り占めできるとは、なんて贅沢なのだろう!
ずっと眺めていたいと思っていたのだが、いつの間にか眠ってしまった。

2005.06.21

砂漠で一泊

ランドローバーは、昼過ぎに出発した。

今日は、砂漠のど真ん中で一泊するという。砂漠の夜は、どれぐらい冷えるのだろう。僕はエジプトで野宿をする気なんてさらさらなかったから、寝袋の類は持ってきていない。毛布でも貸してもらえるのだろうか。

窓から吹き込んでくる風は意外と涼しい*1)。しかしこの風は砂を含んでおり、気づくと顔の皺の部分に砂がこびりついていたりする。汗と混じって取れにくい。休憩で外へ出たがことがあったが、今まで感じたことのないような酷暑だった。風もなく、太陽がじりじりと照りつける。地面からの熱もかなりのものだ。ああいやだ、と思い僕は車内に戻った。

景観も変化に富み、まばらに木が生えていたり、水でも湧き出ているのか畑があったりもした。時にはちょっとした岩山の間を通ることもあった。景色を眺める他は、眠ったり、小間使いの少年となぜジェスチュアゲームで盛り上がったりしていた。ツアーとの参加メンバーと話せば良かったのだが、車の騒音が凄すぎて会話できそうになかった。

C30037夕日が沈む少し前、ランドローバーは目的地に到着した。そこは360度、見渡す限り砂の大地だった。いわゆる「砂砂漠」である。あたりは砂ばかりなので距離感がつかみにくい。とはいえ起伏はかなりのもので、一見平らだと思って進んでいくと、ちょっとした砂丘になっていたりもした。

夕日を眺めた後、夕食となった。メニューは忘れてしまった。
しかし、明るい。満月が近いのである。月の光と、調理の際に使用した焚き火の明かりだけでも、ずいぶんと明るい。都会では、街の明かりに紛れてしまう月の光が、こんなに力強いものとは思わなかった。おかげで星がまったく見えない。

そういえば、僕がギザでピラミッドに登ったときも満月が近かった*2)。あれから半月過ぎたのだ。思えば遠くへ来たものだ、と思った。

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*1)クーラーなどというものはないので、窓は全開である。
*2)以前の記事を参照のこと。

2005.05.26

シーワで食べる

僕はシーワでは何を食べていたのか。シーワ・オアシスでは、カイロなどとは食生活が少し異なる。と、それならカイロで何を食べていたのかを先に書くべきだが、タイミング的にこちらのほうがよい気がするので、書いてしまうことにする。もちろん貧乏旅行なので、安いものしか食べていない(というより食べられない)。

クスクス
シーワでは、モロッコやアルジェリアなどのマグリブ地域*1)の料理を食べることができる。そのひとつがクスクスである。クスクスはパスタの一種であるというが、形は細かい粒状で、一見パスタには見えない。僕が食べたものは、トマトベースのスープに煮込んだ野菜と肉、そしてクスクスが入っているものだった。メニューに「クスクス」と書いてあった割には、クスクスはそれほど入っていなかった。口に入れるとモサモサした食感。

シャクシューカ
こちらもマグリブの料理ということだが、現在では中東全体で食べられているらしい。トマトソースで煮込んだ野菜(肉もあったかも)に、卵を落としたもの。トマトの酸味がきつく、まるで胃液のようでもあり、吐き気をこらえながら完食した。この料理、日本のチュニジア料理店で食べたものとは具材がまったく違うので、かなりのバリエーションがあるようだ。

ヤキメシ
焼き飯である。なぜかスペルが「yakimashi」になっている店もあった。パサパサであんまりおいしくなかった覚えがある。また、カレーがメニューにあった記憶があるのだが、なんとなく頼まなかった。

その他
名物料理でも何でもないが、昼にはよくバナナ入りパンケーキを食べていた。フルーツ入りのパンケーキはほかにもあったのが、バナナ入りが一番安かったのだ*2)。栄養価も高いだろうし。

僕がバナナ・パンケーキを食べたその店。その店に入り、席に座ると、ひとりの男が注文を聞きにやってくる。男は細身で長身、色黒で口ひげを生やしており、そして無愛想だった。注文をすると、店の奥の、厨房らしき場所に入っていく。しばらくすると、蜂蜜がたっぷりかかったバナナ・パンケーキをお盆に乗せてやってくるのである。どうやらこの店は、あの男が一人で仕切っているようなのだ(少なくとも昼は)。あの男が無表情でパンケーキを焼いている姿を想像するとなんだかおかしかった。

単に無愛想な男なのかと思っていたが、知り合いが来ると、非常にこやかに応対しており、「もしかして旅行者嫌い?」などとも思った。

この店で飲んだカルカデも思い出深い。カルカデとは、乾燥させたハイビスカスの花を煮出したものである。そのままだと酸味がきつく、たいていは砂糖をガボガボ入れて飲む。僕はこのカルカデが大好きで、日本でも飲もうと大量に買って帰ったほどである。熱いままでも、冷やしてもおいしいが、僕は冷やしたカルカデをよく飲んだ。この店では、作り置きして冷蔵庫で冷やしてあるようで、頼むとすぐに出てきた。その冷たさと甘酸っぱくさっぱりした味が、日中、太陽の光と熱を浴びてあつーくなった身体を一気に冷やしてくれるようだった。


*1)magrib。アラビア語で「西」、「日の没する場所」の意。ここではモロッコ、アルジェリア、チュニジアなどの北西アフリカ諸国・地域を指す。

*2)うろ覚えであるが、3.5エジプトポンド(105円)だったと思う。1エジプトポンド=30円の計算である(1999年当時)。

2005.05.09

砂漠へ

二日ほど経つと、足止めは解消された。以前にも書いたが、シーワ・オアシスから次の目的地バハレイヤ・オアシス間には定期バスがなく、砂漠ロードをランドローバーに乗って渡るツアーに参加するのがポピュラーな移動手段だった。そのメンバーがようやく集まったのである。僕が泊まっていたパームツリーホテルは砂漠ツアーの企画をしており、ほかのホテルからも、ツーリストインフォメーションから情報を聞いてやってくる人がいた。足止めはまったく無駄な時間だったわけではなく、人が集まるために必要だったのだ。

メンバーは、僕を入れて五人。さらに運転手二人(交替で運転する)に小間使いみたいな少年が一人乗車した。以下参加メンバーを書いておく。

・イスラエル人の夫婦:
奥さんは非常に若くて美人。建築に興味があるらしい。写真をたくさん撮りまくっていた。旦那のほうはブ男、というわけではないが、ところかまわず立ちションするわ、食事になると鼻息が荒くなるわでガサツな印象を受けた。なんでこの男にあの奥さんなのか。「奥さんだまされてるよ!」と何度も思った。彼のおかげで僕の中でのイスラエル人の印象は悪い。

・僕と同じ年齢ぐらいのオランダ人の若者:
僕の名前がそのままでは発音しづらかったのか、「トッシュと呼んでいいか?」と言っていたのに、結局それも忘れたようで最後には「ジャパニーズ」と呼んでいた。こっちは彼の名前を覚えているというのに。ティアマットというバンドが好きなようだ。

・ふくよかなドイツ人の女性:
女性の容姿についてとやかく言いたくはないが、「ふくよか」とはかなり好意的な表現である。僕の大学の英語の教員(女性)にそっくりだった。

・エジプト人ドライバー
前述のとおり二人いたが、ひとりは陽気でいつも冗談を飛ばしているおもしろい奴だったが、オランダ人の若者に「crazy!」と言われたときはさすがにムッとしていたようだ。もうひとりは英語が話せないようでいまいち印象が薄い。


いろいろ書き連ねてはみたものの、彼らとはそれほど親密になったわけでもなかった。英語がつたないということもあるのだが、相手が日本人であったとしてもあんまり変わらないかもしれない。なまじ言葉が通じるぶん「仲良くしなれば」と考えてしまいがちになるが。

2005.04.18

何もしない日(夕日を眺める)

シーワには、新市街と旧市街がある。旧市街は泥レンガでできた住居群で、今でも少数だが住んでいる人がいるらしい。旧市街にはちょっとした小山がある。そこへ上って夕日でも眺めよう。

C30033夕日が見られる場所まで上っていく。なだらかな坂が続く。道路は舗装されたばかりのようで、車も通れるようにか幅も広かった。

舗装された道路は、妙にきれいな建物の前で途切れていた。道路とこの建物の真新しさは、旧市街の景観から異様に浮いており際立っていた。モスクのようにも見えるが、別の日に行ったら子どもたちの声が中から聞こえたので学校かもしれない。もう少し上に行けそうだ。

できる限り上ってみたところで、地べたに座る。商店で買ったバスブーサというお菓子をほおばる*1)。脳天を直撃する甘さである。

C30034夕日を眺めるのは好きだ。しかし、いつも感慨深く眺めるわけではなく、やけに平坦な気持ちになることがある。このときもそうだった。「きれいだな」とは思うが、それ以上の感情や言葉は浮かんでこない。ただ淡々と、沈んでいく夕日を見届ける。

どこからか、「こんにちはー」という声が聞こえてきた。今のは日本語だよな?と思い、下のほうへ目をやると、南の方角へ走っていく自転車が三台*2)

あっ、彼らは。もしかするとあの三人組だろうか。

彼らとは、夕食の際にレストランで何回か会ったことがあった。年齢は三、四十代ぐらいか。かなりの長期間にわたって各地を旅行していると言っていたが、お互い敬語を使いあっていたりしてあまり親しそうには見えず、いまいち関係がつかみにくい人たちだった。あまり旅慣れしているようにも見えなかった。もしかすると、物書きと、その取材に同行した編集者だったのかもしれない。

その夜も、レストランで彼らに会った。旧市街の丘で聞こえた声は、やはり彼らだった。彼らも別の場所で夕日を眺めようと自転車で移動していたらしい。よく僕を見つけたものだ。しかしいつも三人というのは、窮屈に感じないのだろうか。

この次の日だったかは忘れたが、彼らはアレキサンドリア行きのバスに乗り、シーワを去っていった。

*1)簡単にいえば、シロップに浸したスポンジケーキ。「シロップをかけた」というレベルではない。ストレートな甘さが癖になる。お菓子屋から路上まで広範囲に売られており、値段も場所によってかなり違う。僕が買ったものは、工場で製造されたものらしく、小さなカップに入れられ、ビニールでパックされていた。

*2)シーワではレンタルサイクルもある。

2005.04.04

何もしない日(散歩)

気分転換に散歩でもしよう。
それほど広くないシーワの町をぶらぶらと歩いてみる。当たり前だが、カイロやアレキなどに比べたらシーワは本当に小さい町だ。しかし、モノはそれなりにあり、貧乏旅行をしている者にとっては、都市にいたとき生活はそれほど変わらないかもしれない。食事の面での違いと、ミネラルウォーターの銘柄がBARAKAからSIWAに変わったぐらいか。気のせいかもしれないが、SIWAはほのかに甘い。

小規模のバスターミナルに着いた。バスでマトルーフからシーワに着いたときは、ここで降りたんだと思う。暗かったのでいまいち思い出せない。こちらに近づいてくる見覚えのある男がひとり。アレキサンダー・ザ・グレートの管理人だ。恨み言のひとつでも言ってくるのかと思ったら、砂漠ツアーに行かないかとのお誘いだった。笑顔で「NO!」と答えて別れる。

欧米系とおぼしき女性とすれ違った。白い肌に金髪だったのでそう判断できたのだが、その格好といえばエジプト人女性が着るようなゆったりとした黒いワンピースだった。しかも裸足だった。いちおう舗装はされてはいるものの、砂漠の砂でじゃりじゃりしているし、決して裸足で歩くようなところではなかった。ロバなんてそこらで糞までしているのに。なぜ裸足なのか、ちょっと理解に苦しんだ。痛いし汚いし熱いんじゃないだろうか。

町の中心にあるモスクの日陰でひと休みすることにする。モスクの壁に背もたれて、ぼんやりと町の様子を眺める。

一軒の小屋に、人だかりができている。男ばかりのようだ。男たちは、小屋の窓のような所から、何かを受け取っているようだった。ずっと見ていると、どうやらパンを受け取っていることがわかった。パン屋か、配給所みたいなものなのだろうか。

C30032二人の男がやってきて、僕が休んでいる近くで大量のレンズ豆の皮を剥きはじめた。平べったいレンズみたいな形状をしているからレンズ豆。これを煮込んでスープにしたりするが、それがまたうまい。

おもしろそうだったので僕も手伝わせてもらった。二人とも英語が話せなかったので、アラビア語の単語帳で少しだけコミュニケーションしたような覚えがある。写真をとろうとしたら、もうひとりがどこかに行ってしまった。いつもだったらこういうときは写真をとらないのだけど、このときは珍しくとらせてもらったのだった。

2005.03.24

足止めと何もしない日(読書)

シーワに滞在して数日。僕は足止めを食っていた。シーワの後は、さらに南東にあるバハレイヤ・オアシスに行くつもりだった。しかし、シーワ-バハレイヤ間には定期バスが無く、砂漠をランドローバーに乗って渡るツアーに参加するのがポピュラーな移動方法だった。しかもタイミングの悪いことに、そのツアーは僕がパームツリーホテルに泊まることにした日にちょうど出発したばかりで、次のツアーの人が集まるまで待つしかなかったのである。鉱泉や遺跡を見に行ったりもしたが、それほど数は多くないので二日もあれば見終わってしまう。

そういえば、大学の教員Z氏は、週に一回は何もせずに身体を休める日を作れとおっしゃっていた。暑い中を毎日動いていると、自分でも気づかない間に疲労が溜まっていくのかもしれない。何もしない日というのも、たまにはいいだろうと思った。読書や散歩でもしよう。

僕が日本から持ってきた本は、妹尾河童の『少年H』だ。妹尾氏の少年期を描いた小説であり、またH少年の目を通して見た戦争を描いたものでもある。ちょこちょこと読んでいたが、シーワに来て一気に読み上げた。

この本のことで真っ先に思い出すのは、H少年が描いた親子丼の絵である。挿絵はなく、文章のみの描写なのだが、本当に美味そうに思えた。普段ほとんど食べないのに、このときほど親子丼が恋しいと思ったことはなかった。また、後半になるにつれ深刻になっていく戦争の克明な描写も、身につまされる思いで読んだ。

戦争が妙にリアルというか、切に感じられて、なんだか、礼拝を呼びかけるアザーンの声まで空襲警報のように思えてきて陰鬱な気分になってしまった。

2005.03.06

オアシスで聴くチェンジ・ザ・ワールド

水からあがる。少し風がでてきたようだ。
併設されているカフェでシャイ(紅茶)を頼み、ビーチチェアみたいなイスに寝そべる。シャイをすすりながら、空を眺める。

ヤシの林に囲まれているため、ここからでは太陽は見えないが、西の空は淡いピンク色に染まっていた。日中、あれほど照りつけていた太陽も、もうすぐ沈むのだ。空はきれいなグラディエーションがかかっていた。淡いピンク色は徐々に水色へと変化していき、さらに濃い青色へと移り変わっていく。

カフェに置いてあるラジカセからは洋楽が流れてくる。どうやら主人が選曲したテープらしい。そういえば、エジプトのポップス以外の音楽を聴くのは久しぶりだ。聴いたことがあるものが多かったが、タイトルを知っているのは「ホテル・カリフォルニア」や「チェンジ・ザ・ワールド」ぐらいだった。普段はあまり洋楽を聴かないのだが、このときはすんなりと耳に入った。特に「チェンジ・ザ・ワールド」が、歌詞はともかくとしてこの雰囲気にやけにマッチしており、よりいっそう穏やかな気分になれた。

なんかいいな、この雰囲気。
あまりにシンプルすぎて言葉にならない気分。何もせず、ただゆったりと時間が流れる。それがなんだか心地よいのだ。ただぼんやりと、暗くなっていく空を眺める。この緩やかな、気分のよい時間を、僕は気に入ったのだった。

2005.02.23

クレオパトラの鉱泉

クレオパトラの鉱泉。
またしてもクレオパトラである。やはり彼女は人気なのか。
残念ながら写真は撮らなかったのだが、アブー・アル=アリフの鉱泉の2,3倍もの大きさがあった。同じように内壁や底は青と緑の混ざった不思議な色をしていた。もしかすると、藻だけではなく、金属の色なのかもしれない。深さも3,4メートルはありそうだ(数値は適当)。観光客用にちょっとした脱衣所や、カフェも併設されていた。この鉱泉は地元の人も利用するようで、僕が到着したときは地元の親子がジャバジャバと水浴びをしていた。もちろん素っ裸ではないが。

親子が去り、彼らが残したせっけんの泡も流れた頃(意外と早かった)、僕も水浴びしようと思ったのだが、深い水底を見るとどうも躊躇してしまう。僕は高所が苦手なのだが、床が透明なガラスでできている場所とか、水中で足のつかない深さの場所も苦手である。ちなみに飛行機は、落ちたらほとんど助からないだろうと思ってしまうので意外と平気。たぶんバンジージャンプも平気。


大学二回生の夏に、小笠原諸島へ一週間ほど旅行したことがあった。
海岸近くでシュノーケリングをしたのはいいが、足がつかないところまで行けず結局浅瀬でしか泳げなかった(しかも少し溺れた)。イルカウォッチングをしたときなどは、小型艇で海底が見えないほどの深い場所まで連れて行かれた。ライフジャケットが外せなかったため、水面に漂う姿はさながら水死体のようであった。一面マリンブルーの世界で、「どうしようか…」と漂っていると、一匹のイルカが目の前までやってきて、「キュイーッ」と鳴いてくれた。しかし次の瞬間、黄色い水着を着たギャルの、足につけたフィンが頭を直撃したのだが。


やはり人間は土から離れて生きることはできないのか。などと苦い思い出を噛みしめていると、鉱泉からドボーンと水しぶきがあがった。一人の少年が何度も飛び込んでいるのである。しかも前方宙返り。「no swim?」と僕に聞きながら何度も飛び込む。

少年の声に後押しされるかのごとく僕も飛び込む。「気をつけ」をしたまま。足がゴツゴツした岩でできた水底に触れたような気がした。水はそれほど冷たくはない。鉱泉の内側には階段があるのだが、少しぬるぬるしていて滑りそうになった。

2005.02.12

シーワを歩く(2)

まだまだぶらぶら歩く。
今度は東へ。

C30029 C30030

まずはアモン神殿。かのアレキサンダー大王が神託を受けた場所らしい。僕が出て行った「アレキサンダー・グレート・ホテル」はアレキサンダー大王からきてるのか。彼の時代の移動手段でよくもまあこんなところまで来られたものだ。二千年以上昔に建てられたものだから劣化が激しく、足場が非常に悪い。ともすれば滑り落ちそうだ。ここには人っ子一人いないはずだが、近くに村があるため、子どもの声や家畜の鳴き声が聞こえてきた。やはりここでもひとりにはなれない。

この神殿はちょっとした岩山の上にあるため、眺めが非常によかった。手前に見える木々はなつめやしである。遠くの湖らしきものは、なんであんなにきれいな水色をしているんだろう。化学薬品のような色だ。高校の化学の実験のとき、水色の水溶液やゲル状になった液体が、妙にうまそうに見えたことを思い出した。

C30031次はウンムル・オバイダ。アモン神殿から南に少し歩いたところにある。遺跡らしき残骸の中に、このレリーフだけがポツーンと建っている。正直『歩き方』を読み直すまではこれは何だったか思い出せなかったのだが、空の青さがなんだかいい青さをしていたので載せておくことにする。

さらに南にあるクレオパトラの鉱泉に着いたのは、夕暮れが近づいた頃だった。

C3メモ


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